コインケースの事と赤毛のアンの事
月末にドリプレで行うことになっているコインケースのレッスン、まだ空きがありますよ。
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実は早くレッスンが終わらないかな~と思っている私。
自分で使いたいんだもん。
絶対使いやすいよこれ。
ガバっと大きく開くし思ったよりたくさん入るし。
i-pod入れてもいいな。
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ところで。
私はいつも縫物をしながら英語のレッスン用のCDやNHKのラジオ講座を聞いたりしています。
その中のひとつに「赤毛のアン」があります。
「赤毛のアン」は子供の頃から大好きで、何度読み返したかわかりません。
ストーリーは全部把握しているので英語がちんぷんかんぷんでも想像がつくし
大好きなお話なので聞いていて飽きないし、耳を慣らすためにはいいかと思って聞き始めたのです。
買った直後は本当にほとんどわかりませんでした。
でも今は半分くらいは聞きとれるかなーという感じ。
知らない単語が山ほどあるのでそれがネックで全部は理解できませんが。
わからないところは村岡花子さん訳の本でチェックしながら聞いています。
で、ですね、先日終盤のマシュウの死の場面がやってきました。
真夜中、マシュウの優しい言葉を思い出したアンが激しく泣きじゃくり、マリラが慰めにはいってきます。
非常に感動的な場面です。
「マシュウが居なくなって、私たちこれからどうしたらいいの」
「私にはあんたが、あんたには私がいるじゃないか、アン。もしあんたが居なかったら私はどうしたらいいかわからなかったよ。・・・あんたに厳しくしすぎたかもしれない。でもマシュウより愛さなかったとは思わないでおくれ。
ひとこと言わせておくれ。私は自分の気持ちを明かしたりできない性分なんだけれど、こんなときだから、言えるよ・・・・」マリラが告白します。
アンを自分の血肉のように愛していると、アンがこの家に来てというものアンは自分の喜びであり幸せであったと・・・。
朗読者が大変うまいこともあってこのシーンは本当に感動的で、聞いているだけで泣けてしまうほどなのです。
ところがですねえ、
村岡花子さん訳の本にはこのあたりの事がガッサリ省かれているんですよね。
アン好きな人はきっとご存じだと思うのですが、これは有名な謎なのです。
何しろこのあたり、この一行なのですよ。
「二人はともに泣き、心から語りあい、慰めあった。」
ええ~? ですよ・・・。
そして省略されているのはここだけではありません。
この後の、目を悪くしたマリラが意気消沈して家を売る事にした時の顛末、さらにそのあとのリンド夫人からの情報(ギルバートが小学校の先生の仕事を譲ってくれた話)などなど、すごく大切で感動的な部分が見事に端折られ、あっさりと要約されているのです。
なんででしょうねえ?
研究者によると、村岡花子さんがマリラの言葉づかいを決めるにあたって性格設定を厳しくしてしまったために、終盤になって弱みを見せるようなセリフを急にマリラにしゃべらせるのが難しかったのではないかなどと言われていますが、私にはどうもそんな風には思えない。
それならリンド夫人の話まで端折る必要はないし。
ご本人が亡くなられてしまっている今、このことはもう永遠の謎のようです。
もしかすると出版社と何かあったのかなあ?
本としてまとめるにあたってのページ数の問題とかね。
だって要約しすぎなんですよ。
あんなに感動的なシーンがガッサリ削られてるなんて、何か特別な事情がないと説明つかないです。
しかしその後も何冊もアンシリーズが出ているのに、御存命中に改訂版が出されなかったのも不思議です。
でも皆様ご安心くださいませ。
今は村岡花子さんのお孫さんの手によって、その省略された部分も訳され、完全版として出版されているそうです。
私も本屋でみつけたらぜひ買ってみようと思います。
(あ、村岡版の他にも数種類の訳本が出ていまして、そちらはちゃんと省略なしで完訳されています。
でも私は格調高いレトロな村岡版を愛しているんです。)